2017/07/14 睡眠中にて

睡眠中にて。団地レベルの大きな建物の中という限定された空間で、病院かと思われるような雰囲気。映画に出てくるようなぬいぐるみを抱えた女の子が家族に囲まれながら心配そうにこちらを見ていたり、なぜか女性の比率が高い。通り過ぎるスーツ姿の美人な女に僕は過去に何かされたようで、その女性は反省して方向転換を実践し成果を挙げているのだが、最初から関わるつもりのなかった僕は力強さを感じる綺麗な笑顔にすら白けたまま無表情に素通りする。背の高い老婆を含めた背の高い女性数人が長机を前に、にこやかに何かを説明しようとしているので、用意されているソファの空いている場所に座る。これから話そうとする内容に僕はうんざりした予想がついてしまっていて、背の高い老婆が喋り始める前からいつでも黙らせる事が出来るという余裕を抱え、いつ話し始めるのかを待ちながら、老婆と目が合った瞬間に、それらの準備を察知した老婆の警戒の眼差しを茶番が始まるのだなという気持ちのまま目を合わせ続け、冷ややかに見つめていると、長机と共に撤去が始まり、彼女たちは話もせずにいきなりシーンが変わるように姿を消す。「おい、仕舞いかよ。」とつぶやいた後、部屋を出るとき、看護師のような上下白の姿をした男(「岸」というネームが胸元に)が態度を注意しているのか僕の足を足で小突き、それに対して少々大袈裟にバカにしながら廊下に出ていき、何故か自分の靴の紐を付け直す作業をしていて、短い靴ひもを靴穴に通していると女の子が心配そうに横に来て座りながら様子を見ているものの、こんな子供にまで心配されるような有様かよと少しばかり情け無い気分になりながら

御伽噺の怖いお話(想像) かぐや姫

かぐや姫はおじいさんが竹を切っていると出てきました。



竹とは、容れ物です。
おじいさんは竹を斬りまくっていたのですが、とりあえず山の中で竹を斬りまくっていた訳です。


なんか竹の容れ物切って開けたら赤ちゃんスヤスヤ眠ってるや〜ん。






可愛いし育てよ。

























かぐや姫すくすくと成長しました。
マジ可愛い。

かぐや姫、月を眺めるのが好き。
だって夜に光ってるの月やん?
月を眺めるのは中国や欧米ではちょっとルナティックらしいで。




意味不明。
とりあえず可愛いから激モテ。



















周囲の男はとりあえず夜這いかけるわけです。
月下美人、言うやつですわ。




















とりあえずやりまくってみました。
























かぐや姫性病疑惑👸

ウチお嫁にいけな〜い!























ひっそりと暮らしますか。






















権力者「かぐや姫だせや」



















さらなる権力者「かぐや姫は?」


























帝的な「かぐや姫いる?」



























かぐや姫困りました。


逃げます。






















権力者たち「ジジー、かぐや姫どこぞ、とりあえず逆らうから弓でも射っとけ、連れてこい。」



























かぐや姫「月に行きたいわ〜。死んだらいけるかも〜。」




















死。


















死です。






















死。

























おじいさんおばあさん
かぐや姫は......ううっ、月に.....月に帰りました......ううう。」



権力者「えええ〜!........まあありうるかもな、そういうことにしとこ。」



























おしまいおしまい。
めでたくないめでたくない。
もしかするとめでたいのか?
めでたし?

おしまい。

御伽噺の怖いお話(想像) 桃太郎編

桃太郎。


昔々、あるところに。

お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に。


川の上流からどんぶらこ、どんぶらこ、と大きな桃が。


御伽噺はたとえ話として、この話にリアリティを持たせみよう。








大きな桃が川の上流から流れて来る筈は無い。



ましてや子供がオギャーと出て来る筈も無い。








大きな桃









女体だとしたら。

子供が出てくることもあるかもしれない。







大きなお腹の女体







そして死体。











お爺さん(これ、お腹に子供おるで....)





スパーン





オギャー








お爺さんお婆さん

(おった.....子供生きとる......)









育てましょう。









すくすくと成長し、桃太郎は疑問に思う。

お爺さんとお婆さんは、桃太郎に告げる事もあったかもしれない。



「お前の母親は川の上流から流れて来た。妊娠してお腹の大きくなった死体の姿で。」




桃太郎は妊娠した母親を殺したものがいると認識する。





鬼だ。





そんな事をするのは鬼だ。







オニガシマノオニタイジ










オニガシマノオニタイジ











ニガシマノオニタイ










桃太郎は決意する。






鬼ヶ島には王がいた。






鬼の王。






















仲間と力を合わせ鬼と対峙した。





鬼退治。







鬼退治。












オニガシマノオニタイジ








鬼の城には金銀財宝があった。


鬼の王を殺した。







仲間と金銀財宝を持ち帰り、ハッピーエンド。









オニガシマノオニタイジ









桃太郎と鬼の王の戦いは桃太郎が勝利した。





桃太郎はその土地で王になったのかも知れない。
















桃太郎、鬼ヶ島の鬼退治



























昔々、あるところに、お爺さんとお婆さんが



















なんて事を、





想像してみたんだ。

体制システムの修正(FIX)された更新(Updates)

RT

というわけで、国の国家権力を担う部分には必ずといって良いほどに過多ともいえる大負担が押し寄せて来るが、相応の能力資質が必要とされるのは当然として、一部が形骸化してしまう事は避けられない。そして、その腐敗した形骸は、国家権力体制の不備として、長い文脈を踏まえた上での、認識の段階的な更新(アップデート)から見出された段階的な不備体制の修正(FIX)が求められる。そして、権力体制の不備は、旧依然とした体制システムが認識出来無かった、もしくは乗り越えられなかった旧依然の権力側の「断固で強固な甘え」である。それらは(切開)デブリドメントされる体制システムでもあろうし、強化される体制システムでもあるが、それら切開、強化の対象が国の構成員(国民)を疲弊させては国の意義や意味すら失われ、「切除、除去、切断」として国の構成員(国民)をズッタズタに、ザクザクと斬り刻んでいる事も想定される。時に行われる「精神への切開」は、不確かで曖昧で、次の瞬間に変化してしまう霞みの中での切開(デブリドメント)に、自らの痛みが伴われなければ、デブリドメントであるとは言わず、そもそも必要の無いデブリドメントの刃物を子供達が振り回している様な状況の、惨劇の連鎖連続を再認識として理解しておいても良い。おそらく被切開対象とされる傾向は、日本人にも多いのであるが、そもそもデブリドメントが行われる前提理由を施術者側が真に理解しているとは言いがたい。切開切除対象は体制システムであり、環境システムであり、「生ある他者」であってはいけないということ、国の構成員(国民)、もしくは隣人同士が「比喩として」、(切開切除の刃物を振り回しながら、首吊り台へと昇り詰めようとしている様相)を、俯瞰視点として、どれほどの人間がイメージ出来るのだろうか。


特に国家権力の断固で強固な体制システムにおいての、腐敗、腐蝕しがちな負担部分には「休暇と遊びを享受するお仕事」が欠けている様にも観えるし、必要不可欠であるという認識さえ、多くの人々にとっても欠けており、「断固で強固な甘え」でなのである。

研究と実験の限界

西暦2017年、研究と実験は街の至る所に散りばめられている事が、比較的多くの人々に認識されるようになった。

実験の成果は、主に収益を上げる為に利用される。

ラーメン屋の落ち着かない高さの赤い椅子は回転率を高める。

コンビニ、入り口からレジまで、どのルートを通るのか。商品の配置は。

ポイントカード、年代と性別による消費行動。

交通IC、年代と性別による公共交通機関のルート、利用時間、利用率。

広告、場所、人物、デザイン、キャッチコピー。

URL、クリック数、タッチ数、間隔、時間。

ヒト、モノ、カネの動き。

あらゆる情報がビッグデータとして保管され、利用される現代で、無知な観察者は現実を知らない。

観察者が存在するだけで、既に行動が変化する事を。

観察者を被観察者が認識した時点で、さらに行動が変化する事を。

そして、倫理すら頭に無いものは、被観察者を遠ざけていく。

情報の自動転送、時に起こる人為介入。

しかし、鏡である対象は、自らの姿を否が応でも映し出す。

その前提認識を、共有している人間が、もしかすると、限られているのかも知れない。

多くの場面で送られてきたメッセージを記憶、理解している人間はどれだけいるだろうか。

「怪物と戦うものは、その過程で、自らが怪物と化さぬよう心せよ、長く深淵を覗くものを、深淵もまた、等しく見返す」

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

人間にとって、見たくないもの、聞きたくないもの、知りたくないこと、は多くあり、公開されている情報だけでも、充分に認識可能であることも多い。

知ること、聞くこと、見ること、は、観察者への負担になる。

被観察者への負担になる。

監視社会、観察社会は昔から記述されているように、存在し、存続し、現代では顕著に顕現している。

限界を感じる観察者の悲鳴と苦悩が暴走しないように、心掛けなければならない。

狂騒曲、狂想曲、協奏曲

真夜中、午前3時前、暗闇に潜りたかった。

落ち着ける場所。誰にも見つからない場所で、静謐な時間と一緒に、ただ世界を眺め、この先の未来を夢見る場所。まどろむ場所。


電車の疾る音が聴こえる。貨物列車。

誰かに届く郵便として、凝縮されたモノの内包物は、デジタル情報だけでは決して持ち得ない、やわらかな感触を伝えるだろう。

物理法則を斬り裂くように、鳴り響く音は、静かな、静かな、「変えられないもの」との闘いの音色。それは、想起される狂騒曲。


澄んだ空気と、清らかで豊かな色彩が溢れていて、隠れていれた気がしていたあの頃は、太陽が眩しかった青空の向こうに行ってしまって、今は天候すら虚しさが滲む。誰か、を時おり思い出させてくれるくらいで。



雷雨の音に脅えていたね。

氷の上は滑ってしまうよ。

流れ星をたくさん見つけたね。


海辺で独り、小石でも投げようか。



未だに世界は、とても、とても気ままに、巧妙なやり方で、楽しませようとしてくれるけれど、その一つ一つの出来事に、返報することさえ出来ないくらい、遠く、遠くの彼方に行ってしまえよ、と、少なからず願ってしまうからこそ、心地良い孤独を求めてしまうこと。

それ程には、彼、彼女らの、狂想が奏でる、協奏のメロディに、ヤラれてしまっているのだろう。





汚濁にまみれた毒は、清く綺麗で、美しい色彩を現出させることもある。

旋律の音色や響きも、もちろん、そう。



あと何書こうとしてたっけ、忘れた。

ほしいスニーカー?

精神科ムラビトDISS

エセ医療の権威に頭が侵された精神科医は、話を聞かなければいけない時に話を聞かない。5分程度でわかった気になる無能ばかりで、おまけに自らは物分かりのわるい人間です、と自称しながら強制力を行使して、拉致監禁強制服薬虐待差別を繰り返す人間たち。彼、彼女に患者として憐れみを受ければ、悲愴感も漂ってくる。どちらが妄想に生きている人間か、未熟な経験ではわからないだろう。

日本国憲法すら、精神科医が御存知なかった現状が、精神科ムラビトの程度の低さを物語ってはいるのだが、彼、彼女らは自らの曖昧さを誤魔化す為にムラに入り、患者の話は理解出来ず、聞こうとせず、説明しようとする時間も与えず、「わけのわからんことを言っている」と言いながら、自らの意見を強制していた。そしてさらに、カルテ(公文書)に思い思いの偏向した記述を繰り返していた。未熟さを自覚した時、いつしか妬み嫉み恨みに取り憑かれ、悦に浸るため差別を行なっている現状に、そろそろ気付いてもらいたい。彼らの中には保険の点数から算出され、分配される収入と、自らの曖昧さを紛らわす為に、狂気と名付けられた人間を利用して、なんとか自らを確認し、夢を見続けるように、都合の良い妄想に取り憑かれている者も多いのだ。