日本国憲法🇯🇵について、広く知られるように

自衛隊は直接的な殺しの暴力に対抗する軍隊である。

間接的な殺しを推奨している訳では無く、直接的な殺しの暴力が一番手っ取り早い暴力だという認識を前提としており、其れ等に対抗する為に日々、試行錯誤しながら修練される軍隊なのだ。現代では情報戦が繰り広げられているだろう。

しかし、憲法は軍隊の存在を否定しているにも関わらず、実態はそうでは無いという厳然たる事実が、最高法規であるはずの日本国憲法が敗戦後に作られた憲法として、軽視される対象になってしまう傾向がある。

そうなると日本国憲法第9条以外の条項ですら軽視されてしまうのである。

日本国憲法第11条の基本的人権すら軽視されてしまう。

最高法規である日本国憲法が国民に軽視されてしまうのである。

他の法律は最高法規である日本国憲法に基づいて立法されている下位法であり、憲法と照合してこそ、本来の効力を発揮されるものなのだ。

人間は力を持つと使いたくなる生き物だという側面があり、それらは日本に住む人たちだけでは無い。

だからこそ、もしもの時の直接的な殺しの攻撃に対抗出来るように、自衛隊が存在するのである。そして自衛隊は軍隊であり、侵略をしない軍隊として存在する。

自衛軍隊だ。

そうであるならば、実態に即して、安全かつ安心して日々を過ごす為の砦として、自衛軍隊の存在を憲法で認めることにより、他の日本国憲法の条項も、最高法規としての価値が国民の内で同様に上昇し、日本国民は充分に認めることになる。

日本の最高法規として充分な機能を果たす為には、過去の歴史から学ばれた自衛する軍隊としての自衛隊日本国憲法に明記するべきである。

なぜならそれが国民はもちろん、他国の知る実態だからであり、他の日本国憲法の最高法規としての素晴らしさを実態に即して実感、体感し、日本国においては最大の敬意を払う対象として機能することになり、「現状よりも」平穏な国民の幸福の追求が保障されることにもなる。

2008/08/23 Hi-Prix Diss (2ちゃんねるにて)

助けてくれ。どうにか好きになろうと何回も聴いてみたんだが、センスを感じないんだ。むしろ不愉快にさせる。脱力系とか不思議ラップとか体の良い言葉を並べているようだけれど、これはヒドイ。特にリリックからは何も伝えたいことや感情の機微が伝わってこないし、楽しくもならない。メインの曲はパクリでそれなりに仕上げてはいるが、それがさらに俺を不愉快にさせる。パフィーハルカリを意識してるのかしらんが、あれはそこまでかわいくはないがいい。あれはセンスを感じる。言葉で連想させるイメージが多くて聴いてて楽しくなる。だがこの曲をコンビニで流して俺の耳に入れるのはやめてほしい。特に気にならないレベルなら俺もわざわざ、こんな事をグチグチ言いたくはない。でもつい言ってしまうレベル。ついどころじゃねーや。これはヒドイと言わざるをえない。カヴァー、クソリリック、それっぽく仕上げた音、ビジュアル重視の歌い手、最近の曲の良くないところを凝縮している。嫌悪感がハンパない。この曲を仕上げて売り出している企業の奴等の感性を疑う。Sony Music Records、どう考えてもやっつけ仕事。曲作る仕事してるけど、良い曲ってよくわからないし、産みの苦しみなんて味わいたくないし、言いたいことも別にないし、HIPHOPもたいして聴かないけどラップってこういうもんでしょ?かわいくて今時っぽくして宣伝量増やして知名度上げれば売れるんじゃない?そんな意図を感じざるをえない。なんなのこれ?営業努力だけでどうにかなるかどうかっていう実験?こんな事を考えてる俺嫌すぎる、でも「かわいいね、いいね」なんて絶対に言えない。誰か俺を殺して!クソ!それもこれもこんな歌が商品として存在して俺の耳をレイプしやがるからこんなことになるんだ!どうしようもねーからどこかで愚痴ってやる!言いたいことは言っちゃうぜポイズン!まさに負のスパイラル、ウンコ連鎖だなぁ・・・あれ?なんだこれは・・・湧き上がるウンコエナジー!もう何言われてもいいから2chいってウンコ叩き書き込みしよっと。←いまここ

2017/07/14 睡眠中にて

睡眠中にて。団地レベルの大きな建物の中という限定された空間で、病院かと思われるような雰囲気。映画に出てくるようなぬいぐるみを抱えた女の子が家族に囲まれながら心配そうにこちらを見ていたり、なぜか女性の比率が高い。通り過ぎるスーツ姿の美人な女に僕は過去に何かされたようで、その女性は反省して方向転換を実践し成果を挙げているのだが、最初から関わるつもりのなかった僕は力強さを感じる綺麗な笑顔にすら白けたまま無表情に素通りする。背の高い老婆を含めた背の高い女性数人が長机を前に、にこやかに何かを説明しようとしているので、用意されているソファの空いている場所に座る。これから話そうとする内容に僕はうんざりした予想がついてしまっていて、背の高い老婆が喋り始める前からいつでも黙らせる事が出来るという余裕を抱え、いつ話し始めるのかを待ちながら、老婆と目が合った瞬間に、それらの準備を察知した老婆の警戒の眼差しを茶番が始まるのだなという気持ちのまま目を合わせ続け、冷ややかに見つめていると、長机と共に撤去が始まり、彼女たちは話もせずにいきなりシーンが変わるように姿を消す。「おい、仕舞いかよ。」とつぶやいた後、部屋を出るとき、看護師のような上下白の姿をした男(「岸」というネームが胸元に)が態度を注意しているのか僕の足を足で小突き、それに対して少々大袈裟にバカにしながら廊下に出ていき、何故か自分の靴の紐を付け直す作業をしていて、短い靴ひもを靴穴に通していると女の子が心配そうに横に来て座りながら様子を見ているものの、こんな子供にまで心配されるような有様かよと少しばかり情け無い気分になりながら

御伽噺の怖いお話(想像) かぐや姫

かぐや姫はおじいさんが竹を切っていると出てきました。



竹とは、容れ物です。
おじいさんは竹を斬りまくっていたのですが、とりあえず山の中で竹を斬りまくっていた訳です。


なんか竹の容れ物切って開けたら赤ちゃんスヤスヤ眠ってるや〜ん。






可愛いし育てよ。

























かぐや姫すくすくと成長しました。
マジ可愛い。

かぐや姫、月を眺めるのが好き。
だって夜に光ってるの月やん?
月を眺めるのは中国や欧米ではちょっとルナティックらしいで。




意味不明。
とりあえず可愛いから激モテ。



















周囲の男はとりあえず夜這いかけるわけです。
月下美人、言うやつですわ。




















とりあえずやりまくってみました。
























かぐや姫性病疑惑👸

ウチお嫁にいけな〜い!























ひっそりと暮らしますか。






















権力者「かぐや姫だせや」



















さらなる権力者「かぐや姫は?」


























帝的な「かぐや姫いる?」



























かぐや姫困りました。


逃げます。






















権力者たち「ジジー、かぐや姫どこぞ、とりあえず逆らうから弓でも射っとけ、連れてこい。」



























かぐや姫「月に行きたいわ〜。死んだらいけるかも〜。」




















死。


















死です。






















死。

























おじいさんおばあさん
かぐや姫は......ううっ、月に.....月に帰りました......ううう。」



権力者「えええ〜!........まあありうるかもな、そういうことにしとこ。」



























おしまいおしまい。
めでたくないめでたくない。
もしかするとめでたいのか?
めでたし?

おしまい。

御伽噺の怖いお話(想像) 桃太郎編

桃太郎。


昔々、あるところに。

お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に。


川の上流からどんぶらこ、どんぶらこ、と大きな桃が。


御伽噺はたとえ話として、この話にリアリティを持たせみよう。








大きな桃が川の上流から流れて来る筈は無い。



ましてや子供がオギャーと出て来る筈も無い。








大きな桃









女体だとしたら。

子供が出てくることもあるかもしれない。







大きなお腹の女体







そして死体。











お爺さん(これ、お腹に子供おるで....)





スパーン





オギャー








お爺さんお婆さん

(おった.....子供生きとる......)









育てましょう。









すくすくと成長し、桃太郎は疑問に思う。

お爺さんとお婆さんは、桃太郎に告げる事もあったかもしれない。



「お前の母親は川の上流から流れて来た。妊娠してお腹の大きくなった死体の姿で。」




桃太郎は妊娠した母親を殺したものがいると認識する。





鬼だ。





そんな事をするのは鬼だ。







オニガシマノオニタイジ










オニガシマノオニタイジ











ニガシマノオニタイ










桃太郎は決意する。






鬼ヶ島には王がいた。






鬼の王。






















仲間と力を合わせ鬼と対峙した。





鬼退治。







鬼退治。












オニガシマノオニタイジ








鬼の城には金銀財宝があった。


鬼の王を殺した。







仲間と金銀財宝を持ち帰り、ハッピーエンド。









オニガシマノオニタイジ









桃太郎と鬼の王の戦いは桃太郎が勝利した。





桃太郎はその土地で王になったのかも知れない。
















桃太郎、鬼ヶ島の鬼退治



























昔々、あるところに、お爺さんとお婆さんが



















なんて事を、





想像してみたんだ。

体制システムの修正(FIX)された更新(Updates)

RT

というわけで、国の国家権力を担う部分には必ずといって良いほどに過多ともいえる大負担が押し寄せて来るが、相応の能力資質が必要とされるのは当然として、一部が形骸化してしまう事は避けられない。そして、その腐敗した形骸は、国家権力体制の不備として、長い文脈を踏まえた上での、認識の段階的な更新(アップデート)から見出された段階的な不備体制の修正(FIX)が求められる。そして、権力体制の不備は、旧依然とした体制システムが認識出来無かった、もしくは乗り越えられなかった旧依然の権力側の「断固で強固な甘え」である。それらは(切開)デブリドメントされる体制システムでもあろうし、強化される体制システムでもあるが、それら切開、強化の対象が国の構成員(国民)を疲弊させては国の意義や意味すら失われ、「切除、除去、切断」として国の構成員(国民)をズッタズタに、ザクザクと斬り刻んでいる事も想定される。時に行われる「精神への切開」は、不確かで曖昧で、次の瞬間に変化してしまう霞みの中での切開(デブリドメント)に、自らの痛みが伴われなければ、デブリドメントであるとは言わず、そもそも必要の無いデブリドメントの刃物を子供達が振り回している様な状況の、惨劇の連鎖連続を再認識として理解しておいても良い。おそらく被切開対象とされる傾向は、日本人にも多いのであるが、そもそもデブリドメントが行われる前提理由を施術者側が真に理解しているとは言いがたい。切開切除対象は体制システムであり、環境システムであり、「生ある他者」であってはいけないということ、国の構成員(国民)、もしくは隣人同士が「比喩として」、(切開切除の刃物を振り回しながら、首吊り台へと昇り詰めようとしている様相)を、俯瞰視点として、どれほどの人間がイメージ出来るのだろうか。


特に国家権力の断固で強固な体制システムにおいての、腐敗、腐蝕しがちな負担部分には「休暇と遊びを享受するお仕事」が欠けている様にも観えるし、必要不可欠であるという認識さえ、多くの人々にとっても欠けており、「断固で強固な甘え」でなのである。

研究と実験の限界

西暦2017年、研究と実験は街の至る所に散りばめられている事が、比較的多くの人々に認識されるようになった。

実験の成果は、主に収益を上げる為に利用される。

ラーメン屋の落ち着かない高さの赤い椅子は回転率を高める。

コンビニ、入り口からレジまで、どのルートを通るのか。商品の配置は。

ポイントカード、年代と性別による消費行動。

交通IC、年代と性別による公共交通機関のルート、利用時間、利用率。

広告、場所、人物、デザイン、キャッチコピー。

URL、クリック数、タッチ数、間隔、時間。

ヒト、モノ、カネの動き。

あらゆる情報がビッグデータとして保管され、利用される現代で、無知な観察者は現実を知らない。

観察者が存在するだけで、既に行動が変化する事を。

観察者を被観察者が認識した時点で、さらに行動が変化する事を。

そして、倫理すら頭に無いものは、被観察者を遠ざけていく。

情報の自動転送、時に起こる人為介入。

しかし、鏡である対象は、自らの姿を否が応でも映し出す。

その前提認識を、共有している人間が、もしかすると、限られているのかも知れない。

多くの場面で送られてきたメッセージを記憶、理解している人間はどれだけいるだろうか。

「怪物と戦うものは、その過程で、自らが怪物と化さぬよう心せよ、長く深淵を覗くものを、深淵もまた、等しく見返す」

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

人間にとって、見たくないもの、聞きたくないもの、知りたくないこと、は多くあり、公開されている情報だけでも、充分に認識可能であることも多い。

知ること、聞くこと、見ること、は、観察者への負担になる。

被観察者への負担になる。

監視社会、観察社会は昔から記述されているように、存在し、存続し、現代では顕著に顕現している。

限界を感じる観察者の悲鳴と苦悩が暴走しないように、心掛けなければならない。